大阪アメ村クラブゴースト GHOST Ultra Lounge

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大阪アメ村クラブゴースト GHOST Ultra Lounge

SCHEDULE

12.31 SUNDAY

GHOST COUNTDOWN NEW YEAR'S EVE 2018

OPEN
22:00 - 5:00
FEE
MUSIC
HIP HOP / R&B / REGGAE / TOP40
MUSIC by
DJ MINAMI / DJ B=BALL / DJ IMAI / DJ JUNTANAKA / DJ TACT / DJ MOON / DJ SWEEP / DJ AR

□Price
<Non Japanese>
WOMEN
<Before 11:00PM>1000YEN
<From 11:00PM to 3:00AM>2000YEN

MEN
<Before 11:00PM>2000YEN
<From 11:00PM to 3:00AM>3000YEN

女性
<21時から23時まで>1000円
<23時から3時>2000円

男性
<21時から23時まで>2000円
<23時から3時>3000円

※特別日は料金設定が異なります。予めご了承ください。

DJ MINAMI
Minami Wataru A.K.A DJ Minami was born 1976 in the Tokyo area of Japan but grew up in Kansai.
His mother was a dancer and his father owned a record store that sold mostly U.S. Hip-Hop, R&B, Jazz, and Blues records. Growing up in such an environment it is no surprise that he started take an interest in aforesaid genres. At the age of 14 he got a taste of the nightlife when he entered a night club for the first time. There he was able to see a real live club DJ in action.
His career as a DJ started when he received his first pair of tables when he was 15. From that point on the sky was the limit for DJ Minami and he took that to heart as he came to be the home DJ at all the Major clubs in Osaka.
Due to his immensely successful parties in Japan and his working with other major artists, such as Kenny Dope & DJ Alamo of "Brand Nubian", DJ Premier, DJ Jazzy Jeff, DJ Clark Kent, DJ Grandmaster Flash, DJ Whookid, DJ Kid Capri, Strech Armstrong, DJ Enuff, DJ Tony Touch, DJ Cash Money, DJ Self, among others.
DJ Minami has become a name known throughout all of Japan as one of the top DJ's in the country.

レコード屋を経営していた父と元ダンサーの母を 両親に持ち幼少の頃から両親の影響で自然とHIPHOP、R&B、REGGAE、JAZZ、BLUSEなどを基礎としたUSのダンスMUSICを耳にす るようになっていた。その後、14歳の時に初めてクラブに行きクラブDJと言うものを知るようになり15歳の時、ターンテーブルを購入し自身もクラブDJ としてのキャリアをスタートさせる事になる。その後、15歳の若さから現在まで大阪の主要な大箱で活動範囲を広げ数々のPARTYでPrimeTimeを任せられてきた。中でも、Rock the House@Motherhallでは3000人を集める。1999年から2007年まで毎週日曜日に開催されたSOULFREE@Underlounge では毎週1000人を動員する伝説のPartyとなり全国にDJ Minamiの名前を知れ渡らせる事になる。
それらの中で様々な海外アーティスト(KENNYDOPE&DJ ARAMO"BRANDNUBIAN"/DJ PREMIRE/DJ JAZZYJEFF/DJ CLARK KENT/DJGRAND MASTER FLASH/DJ WHOOKID/DJ KID CAPLI/Strech Armstrong/DJ ENUFF/DJ TONY TOUCH/DJ Cash Money/DJ Camilo/DJ SELF/DJ SKRIBBLE/AFRO JACK/Steve Aoki/SHOWTEK/CEDRIC GERVAIS/DEORRO)らとも共演する。また楽曲制作などのプロデュースにも力を注ぎ、N.Y在住のトラックメーカー"Tah"EQ-KNOCKと共にプロデュースチーム"HIGHMARKET SOUNDS"を結成。2005年には、アメリカ東海岸にて念願のDJツアーを実施し (club AVALON(ex Lime Light),club CROVER,club TEMPLE,BB King(コネチカット),etc…)マンハッタンの最先端のクラバーから絶賛を浴びる。2008年秋にも再度東海岸ツアーも決行した。現在のレギュラー パーティーの主は、まず月曜日の"melt"@GIRAFFE & “melt” After Party @G2、水曜日の"SET"@OWL、金曜日の"HOTSPOT"@GIRAFFE osaka 4F & “HOTSPOT” After Party @Ammona、土曜日の”EN”:CORE@GHOST ultra lounge、日曜日の”SUNDAY DRUNK @G3と全て毎週開催され、さらに、毎月第2日曜日、名古屋、ORCA NAGOYAと第4日曜日、神戸、HOME@LARUS KOBEで出演、どのパーティーも大盛況となっている。2008年4月に彼とその他の日本を代表するDJが多数参加するインターネットラジオ“SWAYBEATZ” (www.swaybeatz.net)のCEO(現在閉鎖)としての経歴を持つなど、多角的に活動範囲を広げる。2011年よりは、韓国、上海、台湾などアジア地域からもブッキングのオファーを受け、2015年TryHard Entertainment, TryHard Artistsと契約。同年2月に韓国ツアー決行や10月にベトナムのChill Sky Barにも出演。また2016年7月にはシンガポールのMILLIANに出演するなど、断続的に活動の幅を広げ続けている。

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DJ B=BALL
DJ B=BALL started his professional DJ career in early 2000. He was just one of DJs who opened up nightclubs in Osaka. But he stayed humble and worked so hard. He never stopped cultivating various genre of music.
In 2013 and 2014, he went for the competition of Red Bull There3Style but he could not win.  He did not stop challenging and he even practiced more and that led him more technical in no way inferior to battle DJs. Also he expanded his creativity into productions. DJ B=BALL makes beats under the name of DBB.
In 2015, he finally became a champion of Red Bull Thre3Style Japan. In the same year, he got supported by DJcity Japan and did Japan tour “GIVE ME WINGS JAPAN TOUR.”
His spirit of inquiring music always makes DJ B=BALL progressive.

クラブシーンにおける「DJ」というカルチャーが誕生以降、長い年月を経てどれだけ拡散し、今やその定義すら曖昧になろうとも、その本質的な構図だけは決して変わらない。つまり、この文化とは99%以上の現状に甘んじるDJ=Followerたちと、1%未満の明確なヴィジョンを持った、シーンの未来を切り開くDJたち=新たなLeader、二つの人種のみによって構成されている。そして、DJ B=BALLとは紛れもなく後者。DJを通じて大阪から日本、そして世界へと、多くの人の心を揺るがすことのできる希有な存在だ。2000年代初頭より大阪を拠点に、なんら特別に恵まれた人脈も持たない「いちHIPHOP DJ」として始まった彼のキャリアに近道はなく、名もなきOpen Up DJから10数年、DJcityJAPANのサポートによる全国ツアー「GIVE ME WINGS JAPAN TOUR」(2015年)を敢行するまでに至った現在まで、その過程は決して平坦ではなかったが、常に世界のクラブシーンの新たな刺激、潮流に着目し、日本人DJとしてのアイデンティティに拘り、己のセンスのみを拠り所に様々なジャンルを縦断、吸収。時にバトルDJにも匹敵するほどの技術を磨き、プロデューサー「DBB」名義での制作活動もこなすなど、気の遠くなるようなトライ&エラーを繰り返しながら、一歩ずつ着実に進んできた彼の道のりは、変化を恐れなかった表現者だけが手にすることのできる、気高いクリエイティヴィティに充ちている。2013、2014年と、二度の挫折を味わいながらも再起し、三度目にして掴んだ世界最大規模のDJコンペティション日本予選、"Red Bull Thre3Style 2015 Japan Final"での栄冠。病的なまでの音楽への探究心を原動力として、常に昨日よりも進化したDJingを模索し続けるDJ B=BALL。2015年現在、最も新しい日本王者、その称号は、伊達ではない。

Text / Takeshi Urata

■OFFICIAL SITE
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DJ IMAI
90年代半ばより、京都を拠点にクラブDJとしての活動を開始。そこから僅か2年余りで頭角を現し、メジャー・アーティスト、DELIGHTED MINTのBack DJとして抜擢されるなど関東圏でも精力的に活動、貴重な経験を得ると共に、シュアなスクラッチ、巧みなMixセンスを武器にDJ IMAI独自の世界観、Grooveを産み出すDJプレイが好評を博し、関西全域、様々なBig PartyでのメインDJを歴任、クラブ・フィールドでの信頼を不動のものとする。
そして2003年には、それまでの長いキャリアで培ったDJとしての拘り、センスを余すことなく詰め込んだ処女作Mix Tape、『FLOOR』をリリース。
初の作品としては異例の好セールスを記録すると、2005年末にリリースされた新たなMix、『THE BEST OF 2005 LUXURY LOUNGE』は発売一週間で瞬く間に完売、全国の大型CD Shop、レコード店でも軒並みランキング上位にチャート・イン。
以降、現在に至るまで『LUXURY LOUNGE』シリーズは毎月中旬にリリースされ、驚異的なセールスを記録し続けている。
同作品中での、膨大なリリース量の中から良質な楽曲のみをチョイス、巧みに構成していくDJとしてのセンスとクリエイティヴィティ、それら全てのバック・グラウンドとなるBlack Music全般に及ぶ深い知識、優れた音楽性は、彼の作品が長年に渡ってリスナーを飽きさせる事なく、突出した支持を集め続ける大きな根拠として挙げられるだろう。
こうしたDJとしての経験、スキル、知識を優れた作品としてパッケージングする、豊かな才能に加え、優れたDJにとって必要な要素を高次元で兼ね備えたマルチな活動を展開、
今後もアーティストとしてよりスケールを増しながら、偏らない、骨太なスタンスで彼自身が10年以上にも渡って魅了され続ける類い稀なストリート・カルチャー、"HIPHOP"の醍醐味をリスナーへとダイレクトに伝えていくDJ IMAIの活動は、今後も全国の熱心なリスナーたちを魅了し続けていくはずだ。

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